2025/03/15
今この瞬間に世界が終わるなら何を感じていたい?
究極のワークは「自分が何をどう感じたいか?」をイメージすること!!!
最近、SNSなどの様に、情報の渦に呑まれない為に
自分を観察することの大切さをしみじみ体感しています。
私は自分を気分よくさせる情報に絞るように注意しています。
ココで依存的な体質な人に注意したいのは、この世の中で
「感じること」に正解とか、間違っているはないということ。
自分の感覚に対して、人からどう思われると不安になったり
人から何を言われるかとか、心配になったりするのは
自分を大切に信頼出来ていない証拠ですので注意しましょうね。
そもそも「自分の感覚」は自分固有のもの。
もっと「自由に感じる」ように自信を持ちましょう。
喜怒哀楽のどの感情を選択して感じたとしても
ちょうど選択したその感覚を自分で正解にするものなのです。
実際に思考や行動と同じく『感情』も自分で選択しているのです。
どのように死にたいか?
今この瞬間に何をどう感じているか?は
自分が死を迎える時のことを想像すると同じです。だからと言って
まだ、早いとか関係ないとか回避するのはもったいないことです。
なぜなら、練って練って感じ方は味が深まるものですし
自分のゴールがビジュアライズできるからです。
死に備えることは、よりよく生きる上で欠かせないのことです。
でも、死を迎える瞬間に、やり残したことをやりたいとか
あそこに行ってみたいとか考えても間に合いませんよね。
この問いは、そういう思考や行動レベルのどうしたいか?ではないのです。
肝心なのは気持ち
「この世の終わりの瞬間に何をどのように『感じ』ていたいか?」を
イメージしておくことはとても大事です。
なぜなら、最終の本物の瞬間に備えることだからです。
気持ちを感じると言えば、喜怒哀楽という四字熟語かありますよね。
自分はどんな気持ちや気分を味わいたいと思っていますか?
ちょっと時間を作ってイメージをしてみませんか?
例えば私は、
自然の中でのびのびしたい。
そよ風に吹かれてさわやかさを感じたい。
仲間とわきあいあいと笑い合いたい。
子どもと手をつないだ時の愛おしい温かさを感じたい。
このような気持ちをイメージしました。イメージでいいのです。
たとえ家族がすぐに会える場所に居なくても
心の中には自分次第で会いにいけます。
身体は動かなくても、自然をそう想像することは出来ます。
そんな風にもっと自由に自分自身に気持ちを感じさせてあげたいと思います。
日常のささやかなシーンが一番叶えられますね。
今この瞬間とはその積み重ねではないでしょうか?
今まで、私は刹那的に生きることは浅はかで良くないことと勘違いしていました。
しかし、実は、この世は刹那の積み重ねだったのですね。当たり前ですけどね。
一秒前は過去で、一秒後は未来で、あるのは今この瞬間だけですから。
そして、そのように捉える潔い生き方こそ日本人が美徳としてきたことではないでしょうか。
日本人の賢人諸先輩方には感謝ですね。
あなたも有終の美のために「この瞬間に何を感じたいか」イメージを練りませんか?