2025/02/28
父の徘徊

父の徘徊と私の気づき
今朝はまさに波乱のスタートでした!
春になり、また父の徘徊が始まってしまったのです。
どんなに大切にお世話していても、
「お願いだから落ち着いてほしい!」と心の中で叫ぶばかり。
事件の経緯
朝8時半にデイサービスに出発する予定だったのに、 父は8時に勝手にひとりで外に出てしまいました。
気づいて門扉のロックを確認したものの、 冬の間使わなかったせいで錆びて回らない!
必死で説得するも、父は必死で外へ出たがり、 なんとか庭に座らせても、わずかな間だけ。
そして、再び気づいたら門扉が開いていて、 父の姿はどこにもありませんでした。
慌てて追いかけるも、 GPSカードはまさかの電池切れ…!
それでも、車で探し回ること1時間以上。
その間、パートナーに悔しさを吐き出し、 心を落ち着かせ、ついに…! 探していなかった方向で、 介護スタッフの方が父を見つけてくれたとの連絡が入り、本当に心の底からホッとしました。
徘徊を通じて見えたもの
父を探している間、 心の奥にある“記憶”が浮かんできました。
それは9才の頃の記憶。
「お父さんが帰ってこないのは、お母さんが怒るからだ」 そう言って母を責めている子供の私。
母は玄関のカギを閉めて閉めて、絶対に父を家に入れませんでした。」「父はもう一度飲みに行くと言って深夜に出て行ってしまいました。」その両親を見て涙をいっぱい溜めて溜めて悔しさと悲しみを我慢している私。お母さんがお父さんにやさしくないからだって思い込んでいました。
でも、本当は違った。徘徊が止められない父に絶望的になりながら
「お父さんこそが飲んで帰らなかったから、お母さんが怒っていたんだ。」「もっと優しくて、理解のあるお母さんだったら…」
「もっとコミュニケーションが上手だったら…」
そうすれば、お父さんは優しくなり、
家庭はうまくいくと思い込んでいた。
でも、現実は違ったんだ。
今の大人の私にはそんなことは、玉子が先か鶏が先か…だけど、 子どもの時の私には、お母さんなのかお父さんなのかは大きな違いだった。
ずっと、母親ばかり責めていた。私は母に謝りたい気持ちになった。
私の父はアルコール依存症という大きな問題を抱えているんだ。 家族ではどうしようもない問題だったんだ。何度も何度も、この事実に向き合ってきた。 でも掘れば掘るほど、まだ埋まっている感情がある。過去の家族自分も含めみんなが泣いている。
だからこそ、私は諦めないで掘り下げる、この問題を克服しようとする。
母へ懺悔の日
この日は、私にとって「母への追悼記念日」となりました。
なぜなら、 母が感じていた悔しさや寂しさを 同じように味わえて、母の気持ちを知ることができたから。
「お母さん、長い間嫌ってごめんなさい。」
「あなたが頑張ってくれたおかげで、
家族を大切に思う私たちがここにいる。」
「ありがとう、お母さん。
あなたの愛は今も私の中に生き続けています。」
家族愛の専門家 タラニ
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